ふっかつのじゅもん

大学中退(4年半在学)→中小IT→地方公務員な人のブログ。

人生のレールを一度でも踏み外したら終わりとか言うな

主にネット界隈でよく日本では人生のレールを一度でも踏み外したら終わりという物言いをよく見かける。なぜ日本限定の話なのか、人生のレールって一体何なのか、踏み外すってどういう事なのか、そもそも終わりってどういう状態だよ、みたいに凄いふんわりと抽象的なフレーズなのに、何故か日本人の、特にネットユーザーを中心に共通認識になっている気がする。

 

よくあるレールの踏み外しポイントとしては以下があるだろう。

・学校でのいじめ等による不登校

・高校/大学受験失敗

・大学等の高等教育機関からの中退

・希望する職種・会社へ入社できないなど、就活の失敗

 

実際、僕も大学中退時にはこのフレーズを鵜呑みにして「俺は終わったんだ」なんてクソ真面目に凹んでいた。

というか、僕の場合、不登校になるようないじめは経験せずに済んだが、高校受験にも失敗しているし、現役時代は大学受験にもしている。さらに、何度も当ブログに書いている通り大学中退者だし、僕は元々ゲーム業界を志望していたが、何を間違ったのか組み込み系ITエンジニアとして働いている。

もう、ものの見事に、気持ちのいいほどにレールを踏み外し倒している。というか、ひたすらオフロード走行、みたいな。このフレーズからすると何度終わっているのかわからない。きっと終わりすぎて再起不能なはずなのだ。

 

でも、僕は生きている。

 

元気に働いて、同僚や友達とうまい飯を食い、色んな趣味に手をだして楽しみ、こんな僕を好きでいてくれる素敵な恋人もいる。

断言する。僕は終わってない。

 

そりゃ、大企業社員や業務独占資格保有者や起業成功者、後は高級官僚などなどに比べりゃ屁でもない給料しか貰っていないし、将来を見据えた生活安定度もそういう方々と比べれば不安定だろう。

でも、難関大学を出て、大企業に入って、専業主婦でいてくれる家事ができる旦那を立ててくれる嫁を貰い、ベッドタウンに一戸建てを建てて、子供を2,3人作り、ゴールデンレトリバーを庭で飼って、週末は家族でショッピングモールに出かけて、子供たちを皆難関大学に合格させて、老後は十分な貯蓄と年金で現役時代は満喫できなかった趣味を全力で楽しみ、子供や孫に囲まれて死んでいく、そういう人生以外はレールから外れているのだろうか?そういう人生しか価値は無いのだろうか?そういう人生以外は終わっているのだろうか?

 

僕はそうは思わない。多種多様な人がいるのだから、多種多様な人生が、レールがあっていいはずだ。

確かに上記で挙げたような人生は昭和の高度成長期における素晴らしき人生のメインストリームだろう。確かにこの通りに生きれれば、あまり苦労もせず幸せなんだと思う。

ただ、こういう生き方以外だって幸せでいれる。よく言われることだけど、幸せは自分のとらえ方次第なのだから。

 

日本は素晴らしい国だ。新卒至上主義が蔓延っているとか、年金制度が破綻しているとか、人口が減少の一途をたどっているとか、お隣がアレな国だとか、色々と日本で生きていく上で、将来に対する不安はたくさんある。

でも、世界一うまい飯が食えて、職を失っても国が面倒を見てくれて、職業も多種多様で、清潔で、四季折々の景色が美しくて、本当に日本に生まれてきてよかったと思う。

そんな国で昔の価値観で設計された人生からちょっと支流に流されたくらいで、人生が終わってしまう訳がないのだ。

 

日本は何度でもやり直しがきく素晴らしい国だ。

こんなふわふわと抽象的な過去の遺物であるフレーズに怯えなくていい。自分の道は自分や自分の大切な人たちと切り開いていこう。踏み外したら終わってしまうレールなんてないのだから。

 

人生は一度だけ。 (新潮文庫)

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