ふっかつのじゅもん

大学中退(4年半在学)→中小IT→地方公務員な人のブログ。

価値のある人生ってなんだろう。

僕は昔、自分の人生は何て無価値で無意味なのだろうと考え、人生に絶望していました。「自分は無価値な人間なんだ」と考えると、とても心が苦しくて生きている事が辛かった事を今でも思い出します。

なぜ、当時の僕は自分の人生が無価値であると思い込んでいたのか、少し分析してみました。同じように考えて、苦しくなっている人にとって少しでも救いになればと思います。

人間は100%いつか死にます。死んだ後、自分が歴史に名を残すような事をしなければ、いずれ自分が存在していた事は誰も知らなくなり、存在していなかった事と同じだと考えていました。
そういった人生に価値はないんだ、と考えていました。
そういった考えになったのはいつの頃からだったか、正確には記憶していませんが、
多くの思春期の少年達と同じく、「何かでっかい事をしでかしてやりたい」という考えが根底にあったのだと思います。

自分が年齢を重ね、大人に近づくにつれて、どうも自分は大それた事を成し遂げる事ができないんじゃないかと気付きはじめました。そして、周りの働いている大人はとても辛く苦しそうに見え、そんなに苦労して後世に何か残せるわけでもないのに、どうしてそこまでして生きるのだろうと考えていました。
特に、僕は母子家庭の一人っ子として育ったので、一番近い社会人は母親だけでした。
朝と晩のパートを掛け持ちし、休日は多くて週1回、その休みの日も疲れていたのか、ずっと寝ているような生活でした。

僕が大人になって、そんな生活ができるかと考えても、到底耐えられないと感じました。
平々凡々な仕事を「しんどい、辛い」と言いながら毎日頑張っても、死んだ後には何も残らない。
かといって、自分が偉業を達成できるビジョンも持てない。そうして、社会人として働き、生きていく事に希望が持てなくなっていました。

「死んでしまいたい」と考えた事もありましたが、僕は人一倍死への恐怖心が強いので、とてもじゃないですが、自殺する勇気なんて持てませんでした。
でも、本当にビビりで良かったと今になって考えるとそう思います。
死への恐怖心がそれほどなかったら、死んでいたかもしれない。



そうして鬱々とした生活を続けた結果、大学も中退してしまいました。
「働かないと家から追い出す」と母にハッパをかけられ、「露頭をさまよいたくない」というすさまじくネガティブな動機で就活し、運よく今の職場に拾って頂けました。

今の仕事も、そして転職先の行政職員という仕事も、きっと歴史に名を残すような事はできないでしょう。
でも、今の僕は自分の人生に価値を感じています。
そうなった具体的なきっかけはサッパリ思い出せないんですが、自分の人生の価値なんて、どこかの誰か知らない他社の評価で決まるんじゃなくて、自分自身で決めるものだ、という事に気付いたからだと思います。

例えば、僕とプロ野球イチロー選手を比べて、どちらの人生に価値があるかって、無作為にアンケートを取ったら、きっと皆がイチロー選手の方が価値がある、と答えると思います。
客観的に考えて、日米通算4000安打を記録する未曾有のスター選手と平凡なサラリーマンを比較したら、そりゃそう答えるでしょう。
でも、2万年後にアンケートを取ったらどうなるでしょうか。きっとイチローって誰?ってなっていると思うんですよね。
もしかしたら野球すらなくなっているかもしれません。

どれだけ偉大な方でも、いつかは忘れ去られてしまいます。
それじゃあ、歴史に名を残したかどうかなんてどうでもいいんじゃないでしょうか。
逆にそういった観点で価値を見出そうとすると、どれだけ頑張っても満たされないと思います。

自分が興味のある事にチャレンジして、うまくいくと達成感を味わえます。
自分が周りの人の為に何かをやってみて、喜んでもらえると嬉しいです。
例えば、僕が学生時代、カラオケ屋でバイトしていた時の話なのですが、常連さんで僕がいると必ず「おっ、カツサンドの兄ちゃんおるやん、カツサンド頼むわ!」と
カツサンドを注文してくれるおじさんがいました。
僕は割と料理が得意で、フードも丁寧に作って、店長のレシピに勝手に工夫をしてお客さんに出していました(今考えるとアカンやろ、と思いますが。。)
そのおじさんは僕の作るカツサンドを気に入ってくれたようで、僕の事をカツサンドの兄ちゃん、と呼んでくれるようになりました。
そういう小さな事でも、自分の近しい人に認めてもらえるだけで十分嬉しいんですよね。

きっとイチロー選手も、「記録を残して歴史に名を残したい!」と頑張っているんじゃなくて、もっと野球がうまくなりたいと努力して、それが結果となって跳ね返ってきた時に達成感や挫折を感じて、そういう所に自分の人生の価値を感じていらっしゃるのではないかと思います。
その積み重ねがたまたま歴史的偉業になっただけなんですよね。


社会人になってからでも、そうした小さな喜びや達成感っていくらでも味わえます。
当然うまくいかなくて、辛い思いをする事も多々あって、「俺ってダメだな」と落ち込む事もありますが、それでも、自分のダメな所を改善したり、仕事のヤマを乗り越えたりして、自信がついてくれば自分に対して誇りを持つ事ができるようになりました。

そうして人生を楽しみ尽くして死んだときに、近しい周りの人が「あのいい人だったね」と惜しんでくれるそういう生き方だって素晴らしいんじゃないでしょうか。
赤の他人から見てちっぽけな人生でも、自分が幸せならそれだけで人生に価値はあると、僕は思います。
人がどう思うか、人と比べてどうか、自分が生きた証が残るか、ではなくて
自分自身が自分の人生を楽しめているかが一番大事なことだと僕は考えます。